システム【追記あり】
操作をまちがえると取り返しのつかない事態になるシステムは、システムに問題がある、システムとして問題がある、と考えなければいけないと思う。操作者のせいにしている場合ではなく、システムを改善することを考えなければいけない。
それ以前に、はなから無理のあることをシステムの力に頼ってしようとしていたのではないかと考え直す必要もあるかもしれない。ひいては、そういうシステムに依存している暮らしのあり方を考え直す必要も出てくるかもしれない。
取り返しのつかない事態が繰り返されているのだから、そのシステムに依存している立場の私らにとっては、少なくとも「考える」ことが必要だろう。
(続く自動車事故の報せを聞いて。それまでにもあまりにもたびたび聞いていたのに)
【追記 2019年5月8日】
この記事を書いたのがおよそ半月前だが、この半月の間で何かがよくなっただろうか。この半月の間にも多くの自動車事故が続き、それらの事故をめぐっていろいろな人が発した言葉を見かけたけれど、依然として、操作者を悪者にして済ませようとしている論調(語調)が強いような、むしろよりいっそう強まっているような印象を受ける。
そのことまで含めて、「自動車交通」というシステムの上に私らが安住していることそのものの問題が、やはり考えられるべき問題なのだという感が私には強くなってきた。自動車交通システムを前提にして私らが生きて暮らしていくこの社会という「システム」の問題だと言うほうがよいかもしれない。
微細なことからでも、個人でできることからでも、「システム」を調整したり手直ししたり、できるところから着手したほうがいいのではないか。遠い道のように思えても。
道は走るためよりも前に、歩くためにあったはずだ。