2018-01-01から1年間の記事一覧
むかし、あるドラマの最後のところだけを見た。いやどのくらいの時間か見たのかもしれないが、最後のシーンだけが記憶にある。主人公の老いた男性が、池で百年生きている鯉のことを、おまえは誰にも知られずに(また自分も長く忘れていて)ここで百年生きて…
「はてなダイアリー」を利用していた旧ブログからこちらへ引っ越しました。しばらく様子を見ながら使っていきますが、今後の記事はこちらに載せていきます。 今後ともよろしくお願い申し上げます。
「あの木が聞かせてくれた声」を書きながら、「歌」のことも書きたいと思った。 私のほかのブログに書いているけれど、また今年に入ってこのブログに出した投稿でも書いたけれど、ある公園の桜を長く見てきた。その公園はいまはなく、なくなる予定が発表され…
前の投稿(あの木が聞かせてくれた声 2)で、自分が以前書いたものをここに載せると書いた。その文章は当時特定の方々に向けて書いたもので、あらためて読み返したけれど、公開する性格のものではないように思えた。当時の自分の至らなさなども思うし、その…
※ 今回の投稿はかなり長いので、もし読んでいただける際には休み休み読んでいただけたらと思います。分割するとかえって話の流れがわかりにくいと思ったため1記事で載せました。§マークを使って話をおおまかに区切っています。どこかの時点でもう少し短く書…
ひとまずテストです。
※ 投稿時から8月28日にかけて少しずつ書き加え・書き直しをしました。この記事にはそのうち続きの記事を書きたいと思っています。 ※ 修正 8月29日 木に関する説明を書き直しました。 「ものびと」という言葉のもとでしばらく考えてみようと思っていたが、「…
木の世界、草の世界、ということをおりおり考えている。 「世界」ということについて、20年くらい前、自分が趣味として楽しんでいたトランシーバの交信体験を通してあれこれ考えて、ほぼ本1冊分になるぐらいの書き物を書き、所属していた研究室に提出したこ…
存在、という言葉はどうにもむずかしい。とりわけ、○○は存在するか、という問いは、それをなんで○○でないこちら側で答えることができると考えられるのかがいまひとつわからない。 自分がこれまで書いてきた研究ノートや発表レジュメでよく、「隣り合っている…
新聞コラムで「正常性バイアス」の語を見かけた。自分が関連分野の研究をしていた時代(もう前世紀のことになる…)はこの言葉は聞いたことがなかった。最近耳にする機会が多くなってきた言葉だけれど、私はこの言葉というか概念が依って立つ世界観、少なくと…
「ものびと」論、ということができるかどうかまだわからない。何かの尊厳をあらわすために「ひと」という概念に頼るのは疑問があり(いつか論じるつもりでいる)、「ひと」になぞらえながら何かを理解するというほど「ひと」ということを自分がわかっている…
前回記事「環境記録」で取り上げた10年前の私が書いていたメモに、(ひとりのひとがひとつの人格であるように)ひとつのものが人格物であるという言葉があった。 ここしばらく、ものの尊厳のようなことを考えている。ひととは違うとしても、(ひと以外の)も…
この豪雨で各地の被害を聞き、以前に筑後川の水害の状況を語ってくださった方のお話を伺いながらメモをとっていたのを思い出して探していて、いくつかの別のメモに行き当たった。そのメモの1つに「環境記録ということを考える」というものがあった。しばら…
このブログのタイトルを変えて「長考篇」としてみた。 これまでにお世話になった方々、目をかけてくださった方々を思うと、なにか理論的な、少なくとも移転可能(転移可能)性がある程度見込めるような、そういうものを書けないかとも思うしそういう方向の「…
この3年、時間が止まったままだったのだろうと、いま思う。 歩いてもきたし見ても考えてもきたしいくらかは書いてもきたけれど、やっぱり、自分は止まったままだったのだろう。 止まっていることを止める方法は知らない。やっぱりこの先も、あるいみ、止ま…