とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

木の世界、草の世界、ベンチの世界 (ものびと論のこころみ 4)

木の世界、草の世界、ということをおりおり考えている。 「世界」ということについて、20年くらい前、自分が趣味として楽しんでいたトランシーバの交信体験を通してあれこれ考えて、ほぼ本1冊分になるぐらいの書き物を書き、所属していた研究室に提出したこ…

隣在、もしくは臨在 (ものびと論のこころみ 3)

存在、という言葉はどうにもむずかしい。とりわけ、○○は存在するか、という問いは、それをなんで○○でないこちら側で答えることができると考えられるのかがいまひとつわからない。 自分がこれまで書いてきた研究ノートや発表レジュメでよく、「隣り合っている…

「正常性バイアス」に思う

新聞コラムで「正常性バイアス」の語を見かけた。自分が関連分野の研究をしていた時代(もう前世紀のことになる…)はこの言葉は聞いたことがなかった。最近耳にする機会が多くなってきた言葉だけれど、私はこの言葉というか概念が依って立つ世界観、少なくと…

「ものとなり」 (ものびと論のこころみ 2)

「ものびと」論、ということができるかどうかまだわからない。何かの尊厳をあらわすために「ひと」という概念に頼るのは疑問があり(いつか論じるつもりでいる)、「ひと」になぞらえながら何かを理解するというほど「ひと」ということを自分がわかっている…

「ものびと」 (ものびと論のこころみ 1)

前回記事「環境記録」で取り上げた10年前の私が書いていたメモに、(ひとりのひとがひとつの人格であるように)ひとつのものが人格物であるという言葉があった。 ここしばらく、ものの尊厳のようなことを考えている。ひととは違うとしても、(ひと以外の)も…

環境記録

この豪雨で各地の被害を聞き、以前に筑後川の水害の状況を語ってくださった方のお話を伺いながらメモをとっていたのを思い出して探していて、いくつかの別のメモに行き当たった。そのメモの1つに「環境記録ということを考える」というものがあった。しばら…

長考

このブログのタイトルを変えて「長考篇」としてみた。 これまでにお世話になった方々、目をかけてくださった方々を思うと、なにか理論的な、少なくとも移転可能(転移可能)性がある程度見込めるような、そういうものを書けないかとも思うしそういう方向の「…