とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

鳩の巣 --「生き物嫌い」について少し考える

 

ばたばたという羽音がして、鳩がいるとわかった。窓の外で、鳩が上のほうへ飛んでいく。鳩はここにいるときはだいたい地面で何かついばんでいるが、いまは上のほうに長くいるようで、たぶん木の上に巣を作っているのだろう。

 

地面で何か食べているのはことさら気になることもないのだが、巣を作るのは気になる。ふんが落ちるのが嫌というのもなくはないけれど、それよりも、巣を作って子づくり子育てをするとなるとこちらで気を遣ってしまう。自分が何か日常のことをするとそれが邪魔になってしまうのではないかと。

 

冬鳥が来る季節になると、父が鳥の餌台を置く。水や果物を用意して、しろはらやうぐいすやめじろが来る。鳥たちがそこにいる分には私もしあわせな気持ちで見ていたりするのだけれど、鳥が餌台で食事をしているときは気を遣う。餌台は縁側の近くに設置されているが、家の中でも自分が動けば、食事中の鳥がさっと逃げてしまう。それが申し訳ない気がしてしまう。

 

 

虫が嫌い、という話をしばしば聞く。たとえは虫が襲ってくるのが怖いとか、何をするかわからないから怖いとか、そういう気持ちがあってのことが多いのだろう。でも、なかには、虫をつぶしてしまいそうで怖い、つぶしてしまうのがかわいそうで接したくない、ということもけっこうあるのではないかという気がする。私もいまだに蝶やとんぼをちゃんと持てない。かなぶんや蝉は、だいぶだいじょうぶになったのだが。

 

虫を、そして虫にかぎらずさまざまな生き物を、自分をおびやかしてくる他者、恐怖を与える他者、あるいは自分に被害を与える他者、悪者、「敵」だと思っているのでなく、だいじにすべき「相手」、いのちあるものとして尊ぶべき他者、倫理のおよぶ他者であると思っていて、それだからこそ、その「相手」にどう接していいのかわからず「相手」を傷つけたり苦しめたりしそうで、それが怖い、だから嫌い、ということが、あるのではと思う。

 

嫌い、という思い方をするかどうかはさまざまかもしれない。たとえば、苦手だ、とか、あまり関わりたくない、という思い方もありそう。そういう気持ちで虫を避けている人、生き物を避けている人も、けっこういるのでは。怖れたり、憎しんでいたりというばかりでなく。

 

 

今回はあまり気を遣いすぎずにこちらはこちらで居ようと思う。

 

 

飛び上がっていく鳩をちょっと追うように、鳩のあとでナガサキアゲハがひらひら舞っていた。ナガサキアゲハも窓の外のかぼすの木に卵を産みに来ているのだろう。