とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

このごろやっていること、いま考えていること

ある公共の場所で草の世話をこの4年ほど続けている。1、2週に1回ほどのペースでその場所にかよっている。草の様子を見て、柵が倒れていたら戻して、雨が少ない時期には水をやって、増えすぎている草は短く刈って、日陰を作っている小さな木々をおりおり…

近況といくらかの望み

今年は年賀状をお送りするのが遅くなった。いまの時点であまり細かなことを書くのは控えるけれど、昨年の末から家で母の介護というか介抱をしていて、ようやくこのごろ少し状況が落ち着いた。昨年来いろいろなことが厳しく、福岡県に緊急事態宣言が出された…

虫の声、花が咲くように

昨夜もこおろぎやかねたたきの声がしていた。昼にもかねたたきがゆっくりペースで鳴いていた。このところ暖かかったためだろう。虫の声を3、4か月くらい聞いているけれど、秋が進むにつれてだんだんと声が少なくなってきた。寒い夜には声がしない。虫の声…

鳩の巣 --「生き物嫌い」について少し考える

ばたばたという羽音がして、鳩がいるとわかった。窓の外で、鳩が上のほうへ飛んでいく。鳩はここにいるときはだいたい地面で何かついばんでいるが、いまは上のほうに長くいるようで、たぶん木の上に巣を作っているのだろう。 地面で何か食べているのはことさ…

かたち

こどものころに作った人形(という言い方を自分ではしないけれど)がある。そのころ読んでいた漫画に出てくるロボットを真似して自分なりに作った。いまでは手のひらにすっかりおさまる大きさだが、あのころはもう少し大きかっただろう。 その人形が7月30日…

草を踏んで

草を踏まなくなった、というお話を読んだ。私も日ごろなるべく草を踏まないようにと思いながら歩いているが、それでも踏む。 この前も、ふとしたことである草を踏んでいた。その草はいま踏まれると花がひとつ咲かなくなるおそれが高い。花をたくさんつける種…

ものが「いる(居る)」ということ

「道の記」のブログのほうでだいぶ前から、みちみち見かけた草や木のことを基本的に、そこに「いる」と書いている。植物は「生えている」「植えられている」と書かれることが多いだろうけれど、みちみち見かける植物は生えているのか植えられているのかその…

体の不調が長引いていて、インターネットの読み書き全般をしばらく控えようと思います。このブログはもともとひんぱんに書いていませんでしたが、少し休みます。「道の記」はいまのところ、おりおり書こうと考えていますが、どこかで休みを取るかもしれませ…

おととしだったか、春の七草パックに入っている芹の芽をポット鉢に植えて、それ以降ずっと芹を世話している。小さな虫に食われたりするけれど、虫を落として傷んだ葉を取って世話しているとまた復活する。 昨年の1月7日は芹をつまんだ。今年もそうしようか…

年の瀬の文房具店

きょうで閉店なさる、商店街の文房具屋さんに出向いた。前々からそのお店で見ていて買おうかどうしようかと考えていた製本テープを買おうと。 お店はお客さんが入れ替わり立ち替わり。近くの方々が挨拶を兼ねて来られているようす。私くらいの年配の方が、こ…

最後のわからなさ

人が亡くなる前、まわりの人と意思疎通がきかなくなった後、そしてそこから先、その人が何を感じ取り何を思ったか、まわりからはもうわからない。 伝わってくるものがある気もするけれど、そしてそれを信じたくもなるし信じることが大切であるかもしれないけ…

システム【追記あり】

操作をまちがえると取り返しのつかない事態になるシステムは、システムに問題がある、システムとして問題がある、と考えなければいけないと思う。操作者のせいにしている場合ではなく、システムを改善することを考えなければいけない。 それ以前に、はなから…

言葉という刀

いつぐらいからだったかはっきり覚えていないが、また必ずしもそのように実行しているわけではないけれども、いつからか私はものを書くとき、ものごとが「わかる」ためでなく「わからなくなる」ために書く、という意識を持つようになった。 たとえば、すでに…

ペンシル

小学3年生のときだったと思うが、当時名古屋にいた親戚を旅行で訪ねていたときに、名古屋のデパートで、メカニカルペンシルというものを買ってもらった。芯をボタンで繰り出すいわゆるシャープペンシルで、それまでそういうものを知らなかった。ボディが透…

ブログ移転作業を完了しました。

当ブログの旧「はてなダイアリー」からの移転作業を完了しました。旧「はてなダイアリー」のアドレスにアクセスしていただいた場合、ここに自動転送されます。 ブログ名を『とおりすぎの記』に変更しました。しばらくはこの名前でやっていこうと思います。

百年の鯉(同伴しているということ)

むかし、あるドラマの最後のところだけを見た。いやどのくらいの時間か見たのかもしれないが、最後のシーンだけが記憶にある。主人公の老いた男性が、池で百年生きている鯉のことを、おまえは誰にも知られずに(また自分も長く忘れていて)ここで百年生きて…

ブログを引っ越しました。

「はてなダイアリー」を利用していた旧ブログからこちらへ引っ越しました。しばらく様子を見ながら使っていきますが、今後の記事はこちらに載せていきます。 今後ともよろしくお願い申し上げます。

あの木が聞かせてくれた歌

「あの木が聞かせてくれた声」を書きながら、「歌」のことも書きたいと思った。 私のほかのブログに書いているけれど、また今年に入ってこのブログに出した投稿でも書いたけれど、ある公園の桜を長く見てきた。その公園はいまはなく、なくなる予定が発表され…

あの木が聞かせてくれた声 補遺

前の投稿(あの木が聞かせてくれた声 2)で、自分が以前書いたものをここに載せると書いた。その文章は当時特定の方々に向けて書いたもので、あらためて読み返したけれど、公開する性格のものではないように思えた。当時の自分の至らなさなども思うし、その…

あの木が聞かせてくれた声 2 (ものもの考 6)

※ 今回の投稿はかなり長いので、もし読んでいただける際には休み休み読んでいただけたらと思います。分割するとかえって話の流れがわかりにくいと思ったため1記事で載せました。§マークを使って話をおおまかに区切っています。どこかの時点でもう少し短く書…

ひとまずテストです

ひとまずテストです。

あの木が聞かせてくれた声 1 (ものびと論のこころみ−−あらため、ものもの考 5)

※ 投稿時から8月28日にかけて少しずつ書き加え・書き直しをしました。この記事にはそのうち続きの記事を書きたいと思っています。 ※ 修正 8月29日 木に関する説明を書き直しました。 「ものびと」という言葉のもとでしばらく考えてみようと思っていたが、「…

木の世界、草の世界、ベンチの世界 (ものびと論のこころみ 4)

木の世界、草の世界、ということをおりおり考えている。 「世界」ということについて、20年くらい前、自分が趣味として楽しんでいたトランシーバの交信体験を通してあれこれ考えて、ほぼ本1冊分になるぐらいの書き物を書き、所属していた研究室に提出したこ…

隣在、もしくは臨在 (ものびと論のこころみ 3)

存在、という言葉はどうにもむずかしい。とりわけ、○○は存在するか、という問いは、それをなんで○○でないこちら側で答えることができると考えられるのかがいまひとつわからない。 自分がこれまで書いてきた研究ノートや発表レジュメでよく、「隣り合っている…

「正常性バイアス」に思う

新聞コラムで「正常性バイアス」の語を見かけた。自分が関連分野の研究をしていた時代(もう前世紀のことになる…)はこの言葉は聞いたことがなかった。最近耳にする機会が多くなってきた言葉だけれど、私はこの言葉というか概念が依って立つ世界観、少なくと…

「ものとなり」 (ものびと論のこころみ 2)

「ものびと」論、ということができるかどうかまだわからない。何かの尊厳をあらわすために「ひと」という概念に頼るのは疑問があり(いつか論じるつもりでいる)、「ひと」になぞらえながら何かを理解するというほど「ひと」ということを自分がわかっている…

「ものびと」 (ものびと論のこころみ 1)

前回記事「環境記録」で取り上げた10年前の私が書いていたメモに、(ひとりのひとがひとつの人格であるように)ひとつのものが人格物であるという言葉があった。 ここしばらく、ものの尊厳のようなことを考えている。ひととは違うとしても、(ひと以外の)も…

環境記録

この豪雨で各地の被害を聞き、以前に筑後川の水害の状況を語ってくださった方のお話を伺いながらメモをとっていたのを思い出して探していて、いくつかの別のメモに行き当たった。そのメモの1つに「環境記録ということを考える」というものがあった。しばら…

長考

このブログのタイトルを変えて「長考篇」としてみた。 これまでにお世話になった方々、目をかけてくださった方々を思うと、なにか理論的な、少なくとも移転可能(転移可能)性がある程度見込めるような、そういうものを書けないかとも思うしそういう方向の「…

3年

この3年、時間が止まったままだったのだろうと、いま思う。 歩いてもきたし見ても考えてもきたしいくらかは書いてもきたけれど、やっぱり、自分は止まったままだったのだろう。 止まっていることを止める方法は知らない。やっぱりこの先も、あるいみ、止ま…