とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

立田山のふもとで

 熊本大学での日本地理学会秋季大会に参加した後、夕方だったが以前から行きたかったので、大学の近くの立田山の公園に歩いて行って、林の中で不覚にも車止めのチェーンに足を引っ掛けて顔から転んで地面にぶつかってしまった。顔は大丈夫だったが、手も足も血がだらだら出て、土が傷に入って洗っても取れないので、あきらめて山を下りて傷薬を売っているところを探すことにした。
 薬を売っているところがすぐに見つかるだろうかと心配していたが、下りてすぐのところに薬局があった。おじさんがおられる小さな薬局で、傷薬をいっしょに選んでもらい、その場で手当てをした。立田山はどのへんまで行った?と聞かれたので、「春の森」まで行って転んでしまったと話すと、このへんは他にも桜山神社や横穴古墳群など見るところがいろいろある、ここは昔は参勤交代の街道だった、・・といった地元のいろんなお話をされた。昔の熊本大学(「五高」)の学生はバンカラで、いつも町を飲んで騒いで歩いていたそうで、店の前にケロちゃんを出したままにしていたら翌朝無くなっていたというお話も伺った。
 このあたり(町名で「黒髪」)一帯は学生街で、ここのすぐ近くに大学の寮があり、学生はこのあたりで買い物や食事をし、また下宿に住み、地元の人は学生のことを「学生さん」と呼んで大事にし、学生たちが少々荒っぽいことを町でやっていても大目に見ていたとのこと。今の学生や若い人はこのあたりの店では買い物をせず、コンビニや大規模店に行ってしまうという。個人のお店もだんだん少なくなり、学生も町もずいぶん変わってしまったという。私たちは店に来られた学生さんたちといろいろ話をするのが楽しいし、どういう薬が良いか相談にのることもできるし、今でもお年寄りの方が地元の店をたよりに暮らしておられるので、近所の店というのは大切だと思うのだけれど、これが世の中の流れなのだろうか・・と店の御主人がおっしゃった。
 学会に出る前、朝早くに熊本に着いて、現地にどう行こうか考えて、JRの竜田口駅まで行ってそこから歩くことにして、歩いていると道沿いに木や草が多く、それも街路樹などではなく道際に自然に生えているのをそのまま育てたような風情で、なんだか福岡の道よりも草や木が近いところにあるように感じられて、楽しかった。お店も昔からされてある様子のお店が多く、銭湯もあったりして、後から街道だったと聞くとたしかにそういう昔ながらの雰囲気のある町並みだった。歩いていてちらっと川が見えたので小道に入ると、白川の河原が大きく広がっていた。福岡や筑後川の河原ではあまりない火山灰の土や火山由来のいろいろな石が見られた。大きな堰があって、釣りをしている人もいた。ゆっくりしたい気持ちになる河原だった。
 
 
 山間部や離島の、そこに住んでいる人たちだけでは暮らしが立ち行かなくなった集落の問題がときどきメディアで取り上げられるようになったが、大きな都市の中にも、また別の意味で(しかし重なる意味で)そこの近所だけでは暮らしが立ち行かなくなってきている状況が生まれつつあるように思う。昔ながらの町で、家はそれなりにあるのに、生活必需品を売るお店がなくなったり、かかりつけになるような診療所がなくなったりしていく、都市部のあちこちでそういう事態が進行しているような、そういう感覚がある。往々にしてそういう町が、いろいろないいところを持っている町であったり、そこに昔からおられる方々といいお話ができる町であったりする。
 黒髪の熊大界隈の私が歩いた道は、沿道にいろいろとお店がある。私が歩いていないところにも熊大でもらったマップにお店の記載がある。でも畳んである店舗も少なからず見かけた。そこに住んでいる学生や地元の人たちが地元のお店で買い物をあまりしなくなったのがたしかなのなら、このままだと地元のお店はやっていけなくなるかもしれない。いつか、毎日の暮らしに、あるいはとっさのときに、ほんとうに必要なものが、町の中で買えなくなる日が来るかもしれない。それはどこかの町に限った話ではまったくない。むしろ、町でほんとうに大切なものは、買う物というよりも、地元のお店にしかない「何か」なのかもしれない。
 いま、多くの人は自家用車で郊外の大規模店に買い物に行くのだろう。自分の家の近所だけでは暮らしが成り立たなくなってきていることをあらためて考えることもあまりないだろう。ここの薬局の近所のお店はお年寄りのお客さんが電話すると、品物を持ってきてくれたという。そこに住む人がいて、その人がそこに住むのを支える人がいて、たぶんお互いで支えあうようにして、そこに住む暮らしが成り立っていた。いま暮らしの成り立ち方が変わってきているとして、あるいはすでに変わったとして、その変化はたぶん「支えあう」暮らしでなくなるだけでなく、「そこに」住む暮らしでなくなるということでもあるのだろう。そのような暮らしが、そこに住みそこで暮らす人たちや物々を見失っていくことにつながっていかないように、せめて願いたい。
 薬局の御主人は、こういう小さな店で話を聞く機会が他にもあるなら、ぜひその話を聞いて、考えてほしいとおっしゃった。お元気でいらしてください、と、お店を後にして、歩いて熊大を過ぎて子飼商店街から上通下通を通って白川沿いを熊本駅まで歩いた。

 [10月10日一部書き直し]