とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

事物の「地域資源」化(に抗して) 1 


 「地域資源」という言葉、地域資源の「発掘」とまちづくりや観光への活用・・といった話に接する機会がこのごろ多くなった。
 自分が今のような地物・風物論の研究を続けている原動力になった出来事がいろいろあって、その中で、「地域資源」という言葉に接すると思い出す出来事がひとつある。ある「まち歩き」のワークショップ、それこそ昔からその地域にある固有の物々を「遺産」として位置付けて今後のまちづくりや観光に活かそうとする狙いを持った企画だったのだけれど、それに研究室から見学ということで参加した。当日、小学生数名を含む十数名ほどのメンバーで関連の場所を巡るまち歩きをした。
 そのまち歩きの途中で、たまたま、参加した小学生のうちの二人が住んでいる団地の中を通った。その子たちは最初恥ずかしそうにしてあまり話をしなかったのが、少しずつ打ち解けてきたように感じられるところだった。歩きながら、一人の子が、いつもこの樹の実を採って食べていたと、道ばたの街路樹の横で言った。へえ、どんな実?おいしい?と尋ねると、うん、甘くておいしい、とのこと。その話をしてから、ここの角は何何、ここが何何、と、いろいろな話をしてくれるようになって、団地の道がにわかに華やいだように感じた。話しながら私たちはその道を終着地へと歩いていった。「遺産」と位置付けられようとしているいろいろの建物も場所も心に深く残っているが、あの樹のまちかどを、私は折に触れ思い出す。


 いま「地域資源」が論じられるたいていの場合、地域資源というのはまだ眠っていて、これから発掘される対象としてある。それを何らかの方法で発掘して、それが価値あるものであるという共通認識を作って、そこからそれを活用する(あるいは、活用をはかりながら価値認識を醸成する)、というコースが踏まれるのが一般的な[地域資源→観光・まちづくり]図式のひとつであるだろう。このとき、地域資源は地元の人はその事物を知っているがその価値を感じていない場合と、事物そのものを知らない場合とがあるだろうし、一部の人しか知らないという場合もあるだろう。何人か、あるいは誰か一人が、価値を感じているということもあるだろう。価値を認める人もいれば認めない人もいるだろうし、何かの理由で認めたがらない人がいたりもするだろう。観光活用の場合は事業者(ないしはそれに準じる何かの主体、自治体とか商工会とかNPOとか)が価値を認めてあるいは価値付けて観光客向けにあるいは観光事業者向けにプロモートするという流れになるのだろうし、まちづくりの場合は住民が何かの仕方でその事物を価値あるものとして(再)発見し、その事物を価値あるものとして残して活かす(その一つに観光もあるだろう)取り組みを地域ぐるみで行うことでコミュニティを(再)構築するとか地域アイデンティティ・地域愛を醸成するとかという流れになるのだろう。
 私は、誰かが自分の住んでいるあるいは自分が関わっている(たびたび用事で訪れるとか、通勤通学で通るとかの)地域で、そこにある何かの事物と、その人なりの(その人とその事物との間なりの)交流を営んでいる、という可能性をいつも考える。具体的に私が知っているわけではなく(見聞きして知っていたりもするが)、それは可能性として考えるほかないけれど、可能性としてつねにそれはあると考えている。そしてその交流がそのように営まれていることが尊いと考えている。私がそれを知ろうと知ることがなかろうと、またそれが他の人と共有されようとされることがなかろうと。
 そう考えている私は、ある事物が「地域資源」とされるとき、その事物がすでに誰かと営んでいる関係のことを、いつも思う。地域資源の発掘という言葉はいくらか○○大陸の発見という言葉に似ていて、誰かがすでにそれを発見して(あるいは発見などしないままに)関わっている事物を、誰か「発見発見」と言いたがるあるいは「発見→活用」のコースに乗せたがる別の人物、別の主体(人間に限らない)が、見つけてとりたてて言う言葉であるように思う。そういう傾性のある主体が発掘をしたがり、発掘させたがるのではないかと思う。事物をそういう態度で見ること自体どうなのか?とも疑問に思うが、それはいったんさしおいて、いわゆる地域資源の発掘の場合、その発掘をするための方法として、ひとつ、住民に聞く、住民の声を集める、という方法が流行しているようである。この場合の発掘は、ある住民が何かの事物に価値を感じているということを他の主体が何かの手段を講じてその住民から知り、その事物を価値を込みにして何らかのレベルで顕在化させて、あるいは別の共用可能な(供用可能な)価値を付与して、活用可能性が開けるような境位に置くということであるだろう。このとき、最初にその事物に価値を感じていたその住民と、事物との間の交流は、どうなるのだろう。その住民は、あるいはその事物は、発掘されてうれしいだろうか。幸せだろうか。発掘されることによって、何かが大きく変わってしまうのではないだろうか。
 あの子が私に樹の実の話をしてくれたとき、私はなんだかうれしかった。あの子も楽しそうに話していた。これまでいろいろな町や村でそこの子どもたちと話す機会があったが、子どもたちはよく自分の町や村の、近所や通学路やいつもの遊び場所にあるいろいろなもののことを話してくれる。それは、自分が親しんでいるそういったもののことを私に分けてくれているのだと私は思っている。この分けてくれた話を私が喜んだり楽しがったりして聞くかどうかちょっと心配しながらも、それでもそうしてポジティブに聞いてくれるとどこかで信じて、分けてくれているのだと思う。そこまでのことではないのかもしれないけれど、実際私はそういう話を聞かされるのがとても好きで、子どもたちも話し始めると話が止まらなかったりする。あのときもそうだった。
 ここで理論の話をするのは気が退けるけれども、「自己開示 self-disclosure」という心理学の概念がある。自分について、あるいは自分に関係ある事柄について、他者に言葉で伝達することをいう。人は自分に関係ある事柄は、ある程度親しい人にしか話さない傾向があるという。自分がどのような人間か、自分が何に関心を持っているか、ふだんどうやって暮らしているか、心の中でどう思っているか・・、そういった事柄は、ふだん、ある程度親しい相手としか話さないということである。この傾向を説明する理論がいろいろあるけれど、いずれにしてもひとつ確実に言えるのは、人は自分が好きな物事を誰にでもたやすく話すわけではないということである。もしそれを笑われたり悪用されたり責められたりするようなおそれがあるなら、あるいはその物事を壊されるようなおそれがあるなら、その話をするのをためらうかもしれない(自己隠蔽 self-concealmentという概念もある)。自分の好きな物事を人に開示するのは、自分やその物事を危険にさらしかねない、傷つくおそれのある(vulnerable)ことである。子どもの打ち明け話も、それだけの意味の深さを持っている。
 ほんとうに大切に思っていることは、他人にそれをうかつに伝えたくない。いっぽうで、親しい、信頼している、近づきたい相手には、大切に思っていることを打ち明けて受け止めてほしくなる。分かち合いたくなる。ときには、うかつにも打ち明け過ぎることもあるだろうし、打ち明け過ぎるうかつさを覚悟で思いきって話すこともあるだろう。人が自分の住んでいるところの何かを大切に思うとき、それをもし誰かに自発的に伝えるなら、それはそれだけの信頼や親しみや願いがこもった伝えなのだ(と思うべきだろう)。それを受け止めるだけの素地を、発掘発掘と言っている主体は持っているだろうか。というより、得られた情報をまちづくりに観光に活かそうと思っている時点ですでに、その主体はそのような親密な伝えを受け取る資格を有していないと考えるのが正しいのではないだろうか。なぜなら、その態度は、伝えようとしている当のその人のほうを向いていない態度だからである。伝えられたことをメモし記録して、「情報」として扱い、公開して議論して共有して利用しようとし、他の人たちの用に供しようとする、その態度は、伝えようとしてくれている当の本人へと向かう気持ちを持っていない。それは、親しい声を聴く親しい聴き手のとる態度ではない。もし自分に向かわないそのような態度の主体に対して自分の思いを伝えようとする人があるならば、それは、うかつなのか、それともそれをわかっていてなおこれだけは伝えたいと思う何かの切実な願いがあってのことなのか。その伝えを聴き手が聴くとき、せめて望まれる態度は、そのうかつさを話し手に後悔させず、その願いを共にしようとすることではないかと思われる。その態度が、[地域資源→観光・まちづくり]図式の上に乗った人たちに、そして私に、あるか否か。
 自分の大切に思っている何かが、他の人たちからも大切に思われるようになることを、喜ぶ人もいるだろう。そうなることを願って、[地域資源→観光・まちづくり]図式の上に、自分の大切に思っている何かを差し出そうとする人もいるだろう。いちど記録されたそうした事物は、「地域資源」として公開されることによって、「地域」の内外の不特定多数の人の目にさらされうる境位に置かれることになる。さまざまな土地でそうした境位にいろいろな事物が置かれていくようになっていくのだろうか。その事物が、その事物を差し出したその人から大切に思われているように、あるいはそれとは別様であっても、他の誰かから「大切に」思われることは、あるのだろうか。何がどうなったならほんとうにいいのだろうか。そして、その事物は、その事物とその人たちとの交流は、それからあとどうやって「生きていく」だろうか。こうしたことは、いま考えられているのだろうか。答えを聞いたことはない。


 あの樹のまちかどから遠く離れていま私は生きている。折に触れ、あのまちかどを思い出しながら。