とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

インタープリテーション

interpretationは「解釈」であって、「講釈」ではない。
それが「講釈」でなく「解釈」であればそれはつねに新しく作られるものである。
「演奏解釈」interpretation は作品との不断の対話によって更新されていく。
「通訳」interpretation は相手がそのとき言ったことに対応するものである。

巷で言われている「インタープリテーション」は果たして上のようなものであるや否や。
私が interpret するなら、上のようなインタープリテーションを志す。