とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

無縁社会?

びっくりした。「無縁社会」という言葉が使われているらしい。

社会に、「縁」が無い、という意味ではないらしい。「無縁死」という言葉が並記されている。誰かの死を、無縁死と呼ぶのだろうか。

孤独死」という言葉が言われ始めて、腹立たしかった。いったい誰がその人のことを孤独と言う。その人の死のことを。ひとりで暮らしていれば、ひとりのときに突然死ぬことはありうる。その死を、なぜ「孤独死」という言葉で囲う。
それでも、「無縁死」という言葉に比べれば、まだ「孤独死」のほうがましだ。孤独には尊厳がある。少なくとも、尊厳が、ありうる。


「縁」が無い人がこの世の中にいるのか? 誰かに、縁が無い、ということを、いったい他の誰が何の資格で言う。
無縁社会」「無縁死」、そんな言葉をつらつらと言うあなたは、どこで何をしているのか。あなたが「無縁死」と呼ぶ誰かの死と、あなたとは、無縁なのか。ほんとうに無縁なのか。


追記(2010.2.7)
網野善彦の「無縁」の概念を、上の記事を書いた後に知った。もし「無縁社会」や「無縁死」という言葉がこの概念を踏まえているとすると、上のような話は簡単にはできなくなってくる。
ただ、古い時代に言われたというこの「無縁」という言葉も、私には、「縁」の誤解から来ているのではないか?という気がする。いまのところは検証も論証もできないけれど…。それはひょっとしたら誤解というよりも、「縁」を考えるときにつねにつきまとう問題なのかもしれない。