とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

はらっぱに

もうだいぶ前に、「はらっぱ」というもの/ことについて考えたり探したりしたことがある。探したときに1つわかったのは、「はらっぱ」がそうそう「ない」ということ。はらっぱとなんとか呼べそうなものはところどころにあっても、「はらっぱ」は実になかった。
 
たとえば「みんなのはらっぱ」という言葉で呼ばれる芝生の広場は、なるほどはらっぱっぽい。しかし少なくとも私より上の年代の人たちが思い描く「はらっぱ」とは、そのような場ではまずないだろう。芝生ではなくて、なんとも知れない草が生えているのでなければ、「はらっぱ」ではないだろう。
 
そのことから1つ思われたのは、「はらっぱ」は造れなさそうだ、ということだった。造ったものははらっぱっぽくあっても、「はらっぱ」ではないようだ。公園ではどうもほんとうには「はらっぱ」にならなさそうである。
 
「はらっぱ」は、なにほどか、人の手を離れているのでなければ、「はらっぱ」とは呼べないように思われる。公園とも、学校の校庭とも、「はらっぱ」は違う場所であったろう。「はらっぱ」は、なにより大地そのものであったはずである。
 
もちろん大人になって思えば、そこは誰かの所有する土地であるだろうし、誰かがときどき草刈りしていたのでもあるだろう。しかしなにほどかその土地が人の手を離れている面を抱えているのでなければ、その土地は「はらっぱ」とは思われなかっただろう。
 
つまり、「はらっぱ」と言うからには、なにほどか、ほったらかされている場所でなければならなかったように思われる。
 
いま、日本のある所で(私が数年前に訪れた所)、自然と草が生えていた場所を大規模に舗装するということが進められているらしく、数カ月前からその関連の話をいろいろ読んだ(※1)。考えられなければならない多くのことがあるが、私には「はらっぱ」が失われようとしているように遠くから思われる。
 
その「はらっぱ」には、どうも、いろいろな人たちがそれぞれに親しんでいたようなのである。また、そこにはいろいろなものが生きているようなのである。私は具体的には知らないが、知らなくてもきっと生きているだろう。
 
どこであれ「はらっぱ」は造れないので、失われたら戻すことができない。「はらっぱ」が戻るとしたら、何かの事情で(あるいは何かの事情が消失して)その場所がほったらかされたときだろう。大人の手がそこを離れたときに、子どもや子どもの心を持った人たちによって、いつかふたたび「はらっぱ」に戻ることがあるかもしれない。
 
それでも、「はらっぱ」がいま抱えている生き物をはじめとしたものものや、いま分かち担っている人々の思いは、いま「はらっぱ」がなくなれば、失われて戻らないだろう。これはどうしても「戻らない」。
 
造りもののはらっぱもどきや、造りもののイベントや、造りものの建物では生まれないことごとが、「はらっぱ」では生まれる。ある程度の年代の人ならこの感覚があるのではないかと私は思う。「はらっぱ」でピンとこなければ、「空き地」「裏山」「秘密○○」などのうちに思い当たることがあるのでは。
 
「はらっぱ」は社会の前ではいかにももろそうだ。目的を定められたものばかりが存在を許されるかのごとくな社会の前では(※2)。しかし、「はらっぱ」というものは、なくなってしまってよいのだろうか。
 
「はらっぱ」がなくなってはよくない、ということには、さしたる「理由」は挙げられない。だいいち、理由があるならもう「はらっぱ」はなにほどか「はらっぱ」でなくなってしまっている。たとえ理由がなくても、言えなくても、なくなってはならないものはなくなってはならない。
 
理由がないから、言えないから、大切でない、ということはまったくない。むしろ、理由が言えるなら、その理由を満たす他のものがあればそれに取り替えることも雑作ないだろう。大切なものは取り替えられない。理由が言えないものこそ、実は大切であるのではないだろうか。
 
突き付けられるいかにも正当な理由を、それは意味がない、それは失われるものに対してなにほどのものでもない、と、私たちは少なくとも心の中では思っていることができる。そしてその思いにしたがって生きて動いていくことが、私たちにはいくらかなりともできるはずである。
 
話し合うことはとても大切である。それはあわせて、理不尽なことに対しては理不尽だと一言だけ言えることでもあるだろう。お互いの理不尽、心の伴わない思い込み、そうしたものものが明るみに出たなら、最後は、心を大切にして決めてほしいものだと思う。
 
あわせて、いのちも大切にして決めてほしいと思う。
 
 
※1: 奈良あるいは平城宮跡という地名を補って読んでいただいても、他の土地の名を入れていただいてもかまわない。いま「はらっぱ」がなかなか見つからないとはいえ、そうした場所はどこにもいくらかあったはずだし、どこからも急速に姿を消し、いまも消えつつあるのでは。
※2: この文章を書いたのは2013年の1月26日で、下書きのままおいていた。その後、芥川賞を受賞した黒田夏子abさんご」に、次のような件が書かれているのを見い出した。文脈は欠けてしまうが一部だけ引用したい:

...こうはしておくべきでないと熱心に信じた者により,なんどか草ごろし人がよびいれられ,庭はやがてあるとわかっているものしかない庭となった.そして断じてその庭のようになりたくない者は出ていった.(p. 062)