とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

あの木が聞かせてくれた声 1 (ものびと論のこころみ−−あらため、ものもの考 5)

 
※ 投稿時から8月28日にかけて少しずつ書き加え・書き直しをしました。この記事にはそのうち続きの記事を書きたいと思っています。
※ 修正 8月29日 木に関する説明を書き直しました。
 
 「ものびと」という言葉のもとでしばらく考えてみようと思っていたが、「ひと」がどうもしっくりこなかった。「もの」と呼ばれて「ひと」から区別されているものものをいくらかでも「ひと」のレベルに近く見てみようというニュアンスのようにも聞こえて、それも完全否認はしないけれどそのニュアンスでよしとできることでもないと思う。
 そうこう逡巡しているうち、ふと、もの=者、でもあると思った。これまでホームページなどでときどき書いてきた「ものもの」そのままでいいんじゃないか。「ものもの」という言葉に「者」のニュアンスも込めて、しかし「ひと」と特定化しないで、考えていけたらそのほうがいいんじゃないか。そう思った。
 それで、「ものびと」から「ものもの」に看板を架け替えてみることにした。あわせて、「論」でもないと思ったので、これも前々から思っていた「考」に変えてみることにした。高木護さんの著書に『足考』や『穴考』などの題があって、その「考」に惹かれていた。「〜である」と主張するのでなく、「〜であるのかもしれない」とか「〜だとも考えられる。〜だとも考えられる」ということを連ねていきたいので、「論」よりはやはり「考」がよいだろうと思う。「論」のようなものでなくても、「考」ではあるだろう。
 
 
 
 きょうはある木を訪ねたときのことを書こうと思う。
 
 
 その木はとても高齢な木で、その木がいる場所は以前はお屋敷だったらしいが、現在は道沿いの小さな場所である。その木のことを知って最初に訪ねたときは大枝が勢いよく伸びていたが、次に訪ねたときに、大枝の道路上に出ていた部分が切り落とされて枝が短くなっていた。その切られた位置から新しい枝が小さくたくさん伸び始めているところだった。
 その木は過去に傷を受け、そこから復活して現在の姿になっている。地域ではそのことでもその木のことが知られているようだった。地域の人に知られているそういう木でも、枝をのびのびと伸ばしていられない。そんな現代の人間社会的な事情に絡まれながら、その木はそこに生きている。
 
 私はふだん、木はそうした人間側に起因する事情からいわば超越して、生きて暮らしていると思っている。枝を切られても平然と、いや平然という形容が不要に余計に思えるほど何事もなく、新しく小枝を伸ばして暮らしを続けている。それは木が「たくましい」とか「したたかだ」とかいうことでもないと思う。そういう生を木は淡々と生きているのだと思う。また、枝を切られたことで木が怒っているとも悲しんでいるとも私はあまり思わない。
 思わないのだけれども、そのときはちょっと違った。切られた太い枝の切られた面と、そのそばから伸び出ているたくさんの小枝を見ながら、私は、木の「声」が聞こえた気がした。
 
 ね、あなた、わたしの声が聞こえるんでしょう。だったら見てくださいよここ。よく見てくださいよ。わたしはこんなに長く生きてきて、あなたたちよりよほど長く生きてきて、長寿だとか何々に耐えたとか言われているのに、でもこんなふうに切られるんですよ。こんな目に遭うんですよ。木でも切られたら痛いんですよ。あなたはわたしがそんなことぜんぜん気にしないと思っているようだけれど、痛いのは痛いんですよ。それをがんばってまた芽を作って枝を伸ばしているんです。ね、道路はあなたたちが後から作ったんですよ。電線もあなたたちが後から張ったんです。わたしのほうが先にここにいたんです。あなたたちの誰よりも早くです。それなのに後からこの世界に出てきたあなたたちが道路や電線の邪魔みたいにして私をこんなふうにする。あなたたちはわたしのことをほんとのところいったい、どう思っているんですか。いやわかりますよ言わなくても。わざわざ言わなくていいですよ。長く生きているからわかります。ただね、わたしだって、生きているんです。苦しいことも悲しいこともあるんです。あなたのようにわたしの声が聞こえるひとがやってきたら、やっぱり言いたくなるんですよ。痛いんです。痛いんですよ。わかりますか。わかってくれますか。
 
 私よりもはるかに高齢の木が私に敬語を使う義理もへりくだってくれる義理もまったくないと思うけれど、失礼ながらそのときはそんなふうに「聞こえた」。いま書いた言葉そのまま「聞こえた」わけではなく、木が言っている「声」、私の心に語りかけているその「声」をたどるとそのような言葉に「聞こえた」、という感じだった。
 私は返事の言葉がなかった。言葉にならないままのことを、その木が掛けてきた「声」と同じように、心でその木に話したけれど、もうその後はどちらの言葉もなかった。小枝が日差しに照らされて明るく輝いていた。
 
 木や草に接していて、そういうことがごくたまにある。
 あの木の「声」は、ふつうな考え方をすれば、私の側の思いなしというか思い込み、いまの流行言葉で言えば私の「妄想」ということになるだろう。私もたぶんにそうだろうなとは思う。
 ただ、それとあわせてなのだが、そういう「声」をあの木が聞かせてくれた「可能性」は心に思っておかなければいけないような気もしている。ここにこのように書いた「声」そのものをあの木が発していたかどうかはともかく、私にそのような思いを抱かせた、「声」を聞かせた、その「主体」はあの木だったかもしれない。あるいはやっぱりあの木が、声を掛けてくれたのだったかもしれない。そういう「可能性」は心に留めておく必要があるような気がする。
 
 その聞こえた「声」は、その木にとって「本望」ではないかもしれない。そのような「声」を発したと思われることはその木にとっては「不本意」であるかもしれない。もちろんそうしたことを何とも思ってもいないかもしれないし、そういったことまでも含めて、私の側の思いなし、思い込み「にすぎない」かもしれない。だいいち、あのときの「声」は私がふだん聞いているひとの「声」とは別様に、心に「聞こえて」きたものだった。
 それに、もし「声」だったのだとしても、私が「声」を聞き誤っているかもしれない。「声」は発せられてはいても言い足りていないかもしれないし、もっと言えば偽られているのかもしれない。ほんとうのことは表し出されていないのかもしれない。
 そうした諸々諸々の「可能性」も思っておきながら、しかしそれでも、あの木が私に「声」を聞かせた、またはそう思わせた「可能性」や、あのときの「声」はその木の声であるという「可能性」を、どこかで思っておく必要はあるのではないかと思う。それが「声」であった以上は、「声」として聞いたかぎりは、「声」はまずはその相手が発したものであると受け取るものだろうから。ほんとうにそれが「声」と言えるものなのか考えたり、ほんとうは誰が発した「声」なのかと点検を入れたり、「声」が言っていることを疑ったり、わからないことを聴き直したりするのはその後のことだろうから。
 
 そういう「声」が聞こえたとき、その聞こえる「声」の聞いたひととおりだけでなく、さまざまに、ていねいに「聴く」、聞こえてくるかぎりは「聴く」、それを通して、その木のことを(理屈だけでなく)考え、その木のことが(理解とはまた別の仕方・かたちで)わかってくる、わからないままであってもその木の隣でそうしていられる、そういう通路のようなものが開けていくのではないかという気がする。
 その通路を通るときには、その聞こえた「声」がほんとうは誰の「声」か、やはり木の声なのなら正しくその声を聴き取ることができたか、さっき書いたようないろいろなことを思い考え悩みながら、何度もその木に耳を(心を)傾けることになるのだろう。そして、話し掛け、ときには尋ねることにもなるだろう。
 
 そういう「声」が聞こえたとき、あるいは「声」のように具体的でなくとも何か木の「思い」めいたことが心に浮かんだとき、私は、それをひとまずそれとして受け止めるよう心がけることにした。木の、観察できる外見上の諸々の特徴だったり「様子」だったり、そうしたことごとはもちろん見て触れてときには「聞いて」受け取るわけだけれど、それに加えて、あるいはそれと同じひとつのこととして、あるいは別のこととして、木の「声」や、「声」にならない「思い」が自分に何かの形や仕方で「届いた」ように思ったならそれをまずはいちど受け取る心づもりをしておきたい、という気持ちでいる。
(こうした「声」を、あるいは「声」でなくとも心によぎったその木の「思い」のような何かを、その木のどういうことだと捉えるか捉えないことにするか、あるいはその木と私との間のどういうことだと捉えるか捉えないことにするか、そうしたことについてもう少し書かなければならないと思っている) 
 
 その次にその木を訪ねたときには、「声」はもうしなかった。新しく伸び出した小枝は、もうそれで生きていくと決めたかのように、すっくと上へ伸びていた。