とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

しおかぜ


 むかし、当時電器店を営んでいた父から、クリスマスプレゼントに短波ラジオを買ってもらった。毎年クリスマスが近づくと、そのラジオで短波放送を聞くことにしている。ここ数年は、深夜に、ヨーロッパの放送を聞くことが多かった。
 今年も、論文を書く息抜きにスイッチを入れた。ダイヤルを回していると、日本語の声が聞こえた。北朝鮮拉致被害者の方々へ向けて、御家族が話しかけている声だった。報道では知っていたが、放送を聞いたのは初めてだった。「こちらは、しおかぜです」と、アナウンスが流れた。
 この部屋の、長さ1メートルくらいのラジオ内蔵のロッドアンテナで、「しおかぜ」は聞こえてきた。何も知らずに普段だったら休んでいるこの時間のこの部屋に、北朝鮮の家族へと向けられた電波がいつもやってきていた。


 あまりに美しい景色を見たとき、ときどき、この景色は私ではなく、もっとこの景色を見るにふさわしい誰かがいて、その人に見られてほしい、自分はその人の代わりでしかない、代わりに見ることなどできないのに私が見ている、と思って、たまらなくなることがある。
 それでもその景色を受け取っている。
 この電波が、受け取るべきその人のところに届いていてほしい。たとえラジオで聞かれることがなくとも、この声を乗せた電波が、その人のそばにいつも届けられていることを信じる。