とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

無題

 

今年もいろいろな虫が道の上で踏まれて動かなくなっているのを見た。ときどきは道の辺に移してやった。そうしてほしかったかどうかはわからない。
 
道の上で踏まれることが虫にとってしあわせだとは思えない。ただ、だからといって、そういうふしあわせな目に遭うぐらいならこの虫は生まれてこないほうがよかった、とはまったく思えない。
 
そういう「ふしあわせな目に遭う」虫を減らすために虫を1匹(1頭)残らず捕まえて繁殖できないよう手術をして放し、自然環境の中では虫はこれ以上増えないようにし、虫の繁殖はすべて人間の誰かが管理して実施する、ということはありえない話だと思う。
 
そのありえないことがなぜ猫ならなされるのか。
 
どういう亡くなり方をするのであっても、いくら見た目に悲惨であっても、いやたとえ当人がつらく思いながら亡くなっていく亡くなり方であっても、こんな亡くなり方をするぐらいならこの人は生まれてこなかったほうがよかった、ということはないのだと思う。
 
そのことは虫も猫も同じだと思う。
 
踏みつぶされた虫の光景がどれだけ悲惨であっても、その虫はたしかにここまでこの環境のなかで、この世界に生まれた自分のいのちを生ききった。その厳かさはどんな死に方をしようとなくならない。誰の目にとまらなくとも誰にそう気付かれなくとも、そのことは変わらない。
 
虫にかぎらない。