とおりすぎの記

 考えごとを書くブログ。書いたはなから通り過ぎていくようでもある。

いのちの区別

いま交わされているある議論の中の声を読んで、世の中には、「いのち」の中に区別を引いて、こういう「いのち」は大事、こういう「いのち」は大事でない、という態度で生きているひとがやっぱりけっこういるのではないかと思った。 それとは違う態度として、…

音楽教室での楽曲使用が著作者の「演奏権」に触れるとすると。

音楽教室での楽曲使用が著作者の専有する演奏権の範囲に含まれるとなると、著作者は音楽教室での楽曲使用を許諾しないことができるということになる。その場合、もし世界中の音楽著作者が自分の著作物である楽曲を音楽教室で使用することをいっさい許諾しな…

自分地誌

何年前だったか忘れたが(10年にはなるだろうか)、ゼミの発表資料で「自分地誌」というアイディアを書いたことがある。「自分史」が自分の人生で体験した出来事の歴史的記録なら、自分がいろいろな場所で出会った地物の地理的記録、「自分地誌」というもの…

無題

今年もいろいろな虫が道の上で踏まれて動かなくなっているのを見た。ときどきは道の辺に移してやった。そうしてほしかったかどうかはわからない。 道の上で踏まれることが虫にとってしあわせだとは思えない。ただ、だからといって、そういうふしあわせな目に…

「いのちの観察」

また夢の話だけれど、中学生の何か発表大会のようなものを会場で聴いた。ほとんどの子がふつうに報告的な発表をした中で、ひとり、自分が作った物語を語る男の子がいた。その発表が、中学生とは思えないような落ち着いた態度と声で壇上から語りかける、「発…

「もう人間は信じない」

たぶんそのときまでは列車の座席だったと思うが、そこにすずめばちがとまっていた。わああぶないと思っていたら、友だちがスプレー殺虫剤を持ってきた。殺虫剤、いや殺さなくても逃がせば…と思ったが、他の人もいる屋内なので、仕方ないかもと私も思った。す…

はらっぱに

もうだいぶ前に、「はらっぱ」というもの/ことについて考えたり探したりしたことがある。探したときに1つわかったのは、「はらっぱ」がそうそう「ない」ということ。はらっぱとなんとか呼べそうなものはところどころにあっても、「はらっぱ」は実になかっ…

しあわせ

「生まれてこなかったほうがしあわせ」だといったい誰がどのように判断することができるのだろう。 誰がどのようにして判断しても、ぜんぶ空想でしかないはず。 まして、「生まれてこないほうがしあわせ」など。 せめて、そんな空想をもとにして、何か現実の…

決して正当化できないこと

ある1つの観点からすれば決して正当化できないことをしなければ生きていけない、そのとき、どうするか。 開き直るか。粛々とそうするか。少しでもそれをしなくてすむような努力をするか。それとも。 どうするか、いつであれ、迫られているのでは。

風化

「風化」はあなたの言葉ですか。ほんとうにあなたの言いたい言葉ですか。固い物、かたちある物が少しずつ少しずつぼろぼろぼろぼろ崩れていきますか。ほんとうにそんなですか。あなたが言いたいのは、心の底から言いたいのは、ほんとうにそのようなことです…

「医」の相当の部分は、「治すこと」以前の「話すこと」、その人と話すことにあるのでは。 まして未病であるならば。 (ある条件の人が病気になる危険性を、現実にその条件にある人たちを引き合いに出して大声で世に訴えて、その人たちがどう思うかどう考え…

(大きなことと小さななにか)

人が人のことのみ考えてものを言い、大きなことを運ぼうとしているとき、私は、そのことで脅かされ失われそうになる小さななにかのことを、ものを言わずに誰かが、そっとやっているにちがいないと、もしやっていなくてもそのことをひたすらに思っている誰か…

「心のケア」

「ケア」という言葉は各業界での業界用語だと私は思っている。 「心のケア」も業界用語と考えてよいだろうか。 「あなたには心のケアが必要です」と面と向かっては言えないだろうから。 だったら、「心のケア」という言葉、世間に出回り過ぎ。 そして、そも…

答え

人知れず亡くなった人が、どういう状況でどう思いながら亡くなったかなんて、 その人自身でない他の誰がわかるのか。 それがわからなくていつまでも苦しんでいる人がいるのに。 その「答え」に向かう道は苦しんだそれぞれの人の人生の前にしか現れないのに。…

デザイン幻想

…に浸されてはいないか。 この世界に線を引いてこの世界をそのとおりに仕切る…そうできると信じている…そうしていこうと努力することに価値があると信じる… その幻想の破綻に、いま面しているのではないのか。

デリダは「テクストの死」ということを考えただろうか

散種が終わる、ということを、考えただろうか。 失われたテクスト。それは、はじめから書かれなかったわけではなかった。もちろん、無、でもない。失われた。失われたテクストからはもう、散種が起きない。意味が「そこから」生まれない。しかしそうとわかる…

無縁社会?

びっくりした。「無縁社会」という言葉が使われているらしい。社会に、「縁」が無い、という意味ではないらしい。「無縁死」という言葉が並記されている。誰かの死を、無縁死と呼ぶのだろうか。「孤独死」という言葉が言われ始めて、腹立たしかった。いった…

賀正

メガ幸子のおかげでなんだかふっきれた気が。 今年は大上段に構えます。

ムツばあさん

とても行きたかったです。 いまも訪れてくる方がいらっしゃるのですね。 この春の花を今日はじめてテレビで見ました 遠い街から 御冥福をお祈りいたします。

花いっぱい

世界は花でいっぱい。 ただ、それに気がついていない。

命あったものの肉を食べて生きるということは

…それは、命を引き継いでいるのではない。命がつながっているのではない。 それは、もとの命から決定的に断たれている。 命は、引き継がれない。 食べることではどうしても命は引き継がれない。 命は、引き継ぐことができないものなのだ。他の、誰にも。

いま

言うことがどうしてもつらいことがある。どうしてもどうしてもつらいことがある。 けれど、どうしても言われなければならないこともある。 時間がない。

「脳死は人の死である」と言う者がもしいるとしたら。

いったい、当人以外の誰に、その人が死んだと言えるのか。 考えてほしい。あなたが死んだかどうかを、他の人が決めて、あなたはそれでよいのか。ほんとうのところ。考えてほしい。よくよく考えてほしい。生きているまわりの人々がその人を死んだと決めるのは…

かぐや 種子島より月に帰る

流れる雲をその向こうから照らす、わずかに欠け始めた月。 3時25分。閃光はわからなかった。 心で手を合わせた。 月周回衛星「かぐや(SELENE)」 - SELENE通信 - お知らせ - 2009年6月 http://www.kaguya.jaxa.jp/ja/communication/com_information_j.htm#NEW…

ちょっと休み

ちょっと休みます。別ブログ続けています。

インタープリテーション

interpretationは「解釈」であって、「講釈」ではない。 それが「講釈」でなく「解釈」であればそれはつねに新しく作られるものである。 「演奏解釈」interpretation は作品との不断の対話によって更新されていく。 「通訳」interpretation は相手がそのとき…

事物の「地域資源」化(に抗して) 1 

「地域資源」という言葉、地域資源の「発掘」とまちづくりや観光への活用・・といった話に接する機会がこのごろ多くなった。 自分が今のような地物・風物論の研究を続けている原動力になった出来事がいろいろあって、その中で、「地域資源」という言葉に接す…

雪が降ってきたかと思ったら

枇杷の花だった。

子どもの頃、近くにいくつも空き地があった。国道沿いの広い空き地で友だちと自転車で走り回った。なずながいっぱい咲いていた。他の空き地で、捨てられたか何かの子犬をみんなでかくまったことがあった。その空き地にも、なずながいっぱい咲いていた。なず…

しおかぜ

むかし、当時電器店を営んでいた父から、クリスマスプレゼントに短波ラジオを買ってもらった。毎年クリスマスが近づくと、そのラジオで短波放送を聞くことにしている。ここ数年は、深夜に、ヨーロッパの放送を聞くことが多かった。 今年も、論文を書く息抜き…